本「365日の絶望歌詞集 明けない夜に読む」私は絶望のど真ん中にいます。多分浅瀬ですが。

先日歯茎の手術を行いましたが、あまり経過が良くなく、食欲も無くなり、動悸がし、外出する時はマスクが必須になってしまいました。そのため予定していた旅行をキャンセルしました。ショックで絶不調です。

そんな時に目に飛び込んできたのが、この「365日の絶望歌詞集」でした。絶望的な歌詞ばかり365日分が載っています。1月1日八代亜紀さんの「おんなの夢」から始まります。「一度でいいから 人並みに あなたの妻と 呼ばれてみたい・・・」これは日陰の女の歌ですね。12月31日は鶴田浩二さんの「傷だらけの人生」で歌詞は「日陰育ちの 泣きところ・・・」この歌は侠客の自嘲の歌のようです。1つ1つに短い解説がついています。

他にも「どうせ私をだますなら死ぬまでだまして欲しかった」って、詐欺被害の歌ですか?失恋や貧困、孤独、ドン底の人生、そんな歌詞ばかり集めた本です。

若い時から辛い事があると悲しい歌ばかり聴いて自分を癒やしてきました。明るくて前向きな歌なんか聴きたくありません。悲しい歌で深く落ち込むのが昔からの習慣でした。
若い時はイーグルスのホテルカルフォルニアのカセットをエンドレスで聴いていました。あとはブロンスキー・ビートとか、スーパートランプとか。英語の歌詞の意味は分かりませんが、悲しいメロディーに浸りに浸りまくっていました。

今のお気に入りは弘田三枝子さんの「人形の家」です。
顔もみたくないほど あなたに嫌われるなんて・・・」から始まり「私はあなたに命をあずけた」と歌いあげて終わります。自分をほこりにまみれた忘れられた人形と表現しているのです。切なすぎます。自分の命を預けるなんて重すぎると思うのですが、そこまでの経験が無いので、憧れはあります。この歌も絶望歌詞集7月14日に掲載されています。

その次に聴くのは北原ミレイさんの「石狩挽歌」です。
北海道石狩市の海ではかつて大量のニシンがとれたそうですが、乱獲で今はほとんど絶滅したらしいです。大量にとれた時代に海辺の番屋で飯炊き女として働いていた女性が今のさびれた海辺で昔を懐かしむという内容です。ただし石狩の海には一度も行ったことがないので、私の想像の世界です。中盤の「今じゃ浜辺で オンボロロ オンボロボーロボー」のところが胸にしみます。かつての栄華を思い出し、朽ちた番屋と老いた女性の泣き声のように聞こえます。

北原ミレイさんの歌詞は「ざんげの値打ちもない」が8月2日に載っています。この歌も事件を起こした女が刑務所に入るという絶望的な歌です。5番まである歌詞のうち掲載されているのは3番の歌詞の一部「細いナイフを光らせて にくい男を待っていた・・・」このにくい男というのは、自分を捨てた男のことで、未練のあまりの犯行でしょう。

そして美空ひばりさんの「みだれ髪」を続けて聴きます。
憎や 恋しや 塩屋の岬・・・」「すてたお方の しあわせを 祈る女の 性(さが)かなし・・・」と愛憎入り交じっていますが、最後「ひとりぼっちに しないでおくれ」と歌い、自分を置いて去ってしまった男性のことをいつまでも忘れられない、若い女性の気持ちが胸にせまってきます。

美空ひばりさんの歌は1月16日「悲しい酒」が載っています。これも失恋した女性がひとり酒場で酒を飲むという歌です。昔の歌は失恋した女性または男に捨てられて女の歌がとっても多いです。作詞家に男性が圧倒的に多いのが、もしかしたら弱い女の幻想を思い浮かべていたのかもしれません。または男は強くあるべきと考えられ、失恋して泣く男は書けなかったのかも。分かりませんが。

そして大トリはちあきあおみさんの「夜へ急ぐ人」と「朝日のあたる家」です。
「夜へ急ぐ人」この歌はとにかく怖いです。「かんかん照りの昼は怖い 正体あらわす夜も怖い・・・おいで おいで おいでをする人 あんた誰」という歌詞です。
途中つぶやくようなセリフもあります。主人公は多分水商売の女性で、煌めくネオンのしたで自分を見失っています。誘惑が多い都会で人にだまされた経験があり、誰も信じられない状況の歌だと思います。なので、「おいでをする人 あんた誰」と言っているのではないでしょうか。

それから「朝日のあたる家」これはもう身体を売って稼ぐ女性の歌です。アメリカのニューオリンズの「朝日楼」という女郎屋で働いています。「愛した男が 帰らなかった あのとき私は故郷(くに)を出たのさ・・・誰か言っとくれ 妹に こんなになったら おしまいだってね・・・」もう絶望しか感じません。絶望の果てです。

ちあきなおみさんの歌は9月8日に「喝采」、10月25日に「夜へ急ぐ人」があります。「夜へ急ぐ人」はNHK紅白歌合戦で司会の山川静夫アナが「気持ち悪い歌ですね」と口にしたほど絶望感が強いのです。そのシーンよく覚えています。鬼気迫る姿に私はテレビに釘付けになりました。でも「気持ち悪い歌」とは失礼です。と、当時15才の私は思いました。

この本には昭和歌謡からボカロ曲まであります。昭和歌謡は失恋した女の歌や貧困が原因の歌が多いのですが、最近の曲になると孤独や自死のような意味の歌詞が増えた気がします。

気になった歌詞をいくつかピックアップしようと一心不乱に読んでいたら、具合が悪くなってきました。歌詞だけ観ると絶望を通り越して怖いです。精神的にまいってきます。

鉄道の飛び込み自殺があって「迷惑だなぁ」とか思っていたら、自殺者は友人だったり、そこにいた少女だったり、貴方だったり。
または自殺を連想させるような歌詞もあり、ギクリとします。「もう歩けない 灰になれば皆喜びましょう」「死にたい、死にたい」もうしんどいです。

「メリーバッドエンド」というまふまふさんの歌「今日嫌われないため 輪になって あの子を嫌いになるの」これはいじめに加担する歌ですよね。一部しか載っていないので全体が分かりませんが、最近はこういう歌もあるのだと新たな発見をしました。
児童虐待されてる歌詞もあります。今はそういう時代なのだなと実感。昔みたいに恋愛だけではなく絶望も多様化していると感じました。これも新資本主義の自己責任論の影響でしょうか。

ちり紙につつんだ 足の爪 後生大事に 持っています」石川さゆりさんの「飢餓海峡」ですが、これも絶望度が高いです。よりによってお相手の足の爪とは、気持ち悪いですけど、気持ちは分かります。高校時代の同級生が、憧れの先生が吸ったタバコの吸い殻をティッシュに包んで持っていたのを思い出しました。そういう私も中学生の時、好きだった生生に貼ってもらった絆創膏を大事に持っていましたから。

共感した歌詞もあります。倉橋ヨエコさんの「夜な夜な夜な」の「夜は自己嫌悪で忙しい 夜は自己嫌悪でいそがしいんだ・・・」まさにその通りです。61才になっても自己嫌悪に陥り反省文書いています。


桑田佳祐さんの「東京」では、「東京は雨降り 何故 冷たく頬を濡らす 父よ 母よ むなしい人生よ」って芸能界の成功者がこんな歌詞を書くなんて、これは誰かの当て書きですか?妄想で書いた歌詞ですか?

歌詞だけ一心不乱に読んでいたら動悸がしてきました。やはりメロディーとともに聴かないと効果が無いことが分かりました。絶望は歌になってから癒やされるのだと気がつきました。

これ以上は気分が悪くなり無理です。

巻末に曲名と歌手名の索引があります。気になった歌詞があったら歌を聴いた方が精神的には楽です。歌詞を収集された品川亮さんと頭木弘樹さんに尊敬の念をいだきます。

監修者:頭木弘樹

執筆者:西岡ムサシ

発行:祥伝社

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