本「聖と俗 対話による宮台真司クロニクル」クロニクルとは年代記のこと。社会学者、ナンパ地獄を経て聖なる存在にたどり着く。

赤と青の字で「聖と俗」とあり、両脇に「宮台真司」「近田春夫」とお名前がある字だけの表紙が目を引きます。気になって少し読んでみました。

申し訳ないのですが、宮台真司さんをあまり存じ上げませんでした。何年か前にあった「切り付け事件」の被害者の方でしたが、そんな事件があったと思い出しました。大学の教授がキャンパス内で後ろから刃物で切りつけられ重傷を負ったという事件。

近田春夫さんも詳しくは存じ上げなくて、私が高校生くらいの時にYMOやヒカシューやジューシィ・フルーツが目立ち始めたときのテクノポップス界に属していたのを覚えています。週刊文春での連載『考えるヒット』はたまに読んでいました。

あまりよく知らない方たちの対談集を買ったのですが、目次でみた宮台さんの人生が面白そうと感じたのです。革命家を志し東大生になり性愛に溺れ、テレクラでナンパ修行に明け暮れ、大学教授時代に殺されそうになる。いったいどんなことがあったのでしょうか。そんな人が社会学者と興味を持ちました。

なぜ本という形になったのかも不思議ですが、「まえがき」に書いてあることは、お二人のトークショーの舞台上で大喧嘩をしたにもかかわらず、休憩中に近田春夫さんが宮台真司さんを「あきれるほどの正直者」と気に入り、「このことをばこそ世に知らしめねば」と直感し企画がスタートしたと書いてあります。

近田さんによると、宮台さんは自分と意見が異なる人に対し感情的な語彙(バカだのクソだの)で人格的に否定・攻撃をしているように見え、それを注意しても一向に改めず、「いちいちの”愚直さ”が見ていてなんとも愛おしい!」と逆に可愛く思えてきたそうです。

この本は近田さんが質問し、宮台さんが答えるという形で、際どいことも話しています。本当に「あきれるほどの正直者」です。この本を読みながら当時の世相を思い出しました。

勝手に人の半生をブログに書いていいのかと思いましたが、私も近田さんのように「このことをばこそ世に知らしめねば」と、面白かったので書いてしまいました。アカデミックなことも語っていますが、難しかったので省略しました。

学生時代

宮台さんは1971年に中高一貫の男子校麻布学園に進学します。当時はまだ学園紛争が続いていて、非日常的な学園生活を送ることになります。あさま山荘事件が起きたのが1972年です。中学3年の時には同級生が文化祭のお金数百万円を横領し中核派に入る事件も起きており、宮台さんも中学の校内で内ゲバに遭っています。中学生が思想的立場で争うなんて信じられませんが、そういう時代の校風だった様子です。

学生時代は空手に汗を流し、膨大な数のアングラ映画、メジャーじゃない洋画、ATG作品、「映画批評」と「映画芸術」、天井桟敷、状況劇場、ドストエフスキー、吉本隆明、高橋克巳全作品、ピンク・フロイド、イエス、キング・クリムゾン、荒井由実の「ひこうき雲」に衝撃を受け、歌謡曲再評価時代を得て、「諧謔(かいぎゃく)の時代」を迎えます。
学園紛争が去った後は、ナンパとオタクの両立で誰もついてこれないことを見せつけるという「嫌なヤツごっご」に興じるようになります。
1浪し東大へ入学します。そして彼女と出会いアングラを忘れ、365日性愛の享楽に浸る生活になります。

やがて彼女と別れ、宮台さんは先生に勧められ数理社会学の博士号を取得します。でも本当は数理社会学はやりたいジャンルではなく、ストレス発散のためナンパ師として活動を始めます。

ナンパ師時代

博士論文「権力の予期理論」という難しい論文を書き、東大教養学部助手に着任し新進気鋭の社会学者になります。その反面ナンパした女性の家々を転々とし、テレクラの会員証は50枚持っていたそうです。
その頃の恋愛事情は複雑怪奇になり、求道者としてテレクラ修行を行い、さらにナンパ道を極めていきます。1985年に北海道から沖縄まで全国テレクラめぐりを行いながら、各地をつぶさに観察しました。
同時に本当の恋愛を求めて11年間ナンパ地獄が続きますが、ナンパを通して学びも得ています。

援交フィールドワーク時代

1993年、その過程で得た色々な気づきを「ブルセラ」「援助交際」「オウム真理教」など論じるようになります。宮台さんが援助交際を知ったのは1991年に女子高生をナンパしてから(淫行条例施行前)、女子高生から聞かされたそうです。調べると以前から東京の私立女子高生のネットワークがあり、みんな進学校に通う美形の女子たちです。危険を避けるために様々情報が交換されたいたそうです。「この辺を歩く女子高生の1/3がやっている」と渋谷で言われたそうです。

でも1996年になると、イケてる女子高生は援交から手を引くようになります。主役は「メンヘラ」と呼ばれる子に変わり、援交は「パパ活」と呼び名を変えます。

1994年援交を論じた「制服少女たちの選択」、1995年オウムを論じた「終わりなき日常を生きろ」を出します。
その時期にマスコミから注目されるようにもなり、テレビ朝日の「朝まで生テレビ!」に出演を果たします。その番組は拝見していないのですが、かなりリスキーな発言をされていたようです。

聖なる存在時代

そして2004年、聖なる存在に出会います。今の奥様との出会いです。その表現がとても文学的です。

「見つめ合った時、彼女の背後に、男たちの屍(しかばね)が連なっているのが見えました。(中略)屍の列に僕も連なりたいという気持ちが生まれました。」

ようやく恋愛感情を取り戻し、宮台さん45才奥様25才の時結婚します。やがて3人のお子さんを授かります。

感想

知らない哲学者の名前や学問の話しが多く難しいです。でも恋愛話しが面白く、特に奥様との出会いが何故か感動的です。
社会学者としてのフィールドワークに感服いたしました。
宮台真司さん覚えましたので、次にメディア等で拝見したときは必ずチェックするようにいたします。

最後まで読んでくださりありがとうございます。
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#聖と俗 #宮台真司 #近田春夫