10年位前にロシアを旅行したことがあります。血の上の救世主教会、琥珀の間が有名なエカテリーナ宮殿、エルミタージュ美術館では広すぎて迷子になり、マリインスキー劇場でバレエ「白鳥の湖」を鑑賞しました。5日間という短い旅だったので日にちを長くしてまた来ようと思っていましたが、もう行くことは出来なくなりました。残念でなりません。
母の友人(90才位)から満州で命からがら逃げてきた話しを聞いたことがあります。まだ子どもだったそうですが、顔を黒く汚して男の子の格好をさせられたそうです。
ソ連兵にレイプされた若い女性も見たそうです。道端でことにおよび、次の男がイチモツを出しながら順番を待っていたそうです。公衆の面前でなんてことをしていたのか、おぞましいです。ウクライナとの戦争でもそういう話を何度もニュースや新聞で見聞きしました。
太平洋戦争と比べて、日ソ戦争は圧倒的に知られていないです。8月15日の終戦過ぎても日本とソ連が戦争を続けていたことは、最近まで知りませんでした。終戦の日に全てが終わったとずっと思っていました。シベリア抑留は知っていても、それがどう始まってどう終わったか、よく分かっていませんでした。
この本を読んで初めて知ったことが多々あります。
日本は英米との終戦の仲介をソ連に頼んでいた。
ソ連が中立条約を破って次いで参戦した。
戦後の日本をアメリカとイギリスとソ連と中国で分割する案があった。
ソ連兵の暴虐無人ぶり。
北海道上陸作戦があった。
シベリア抑留のむごさ。軍以外にも女性を含めた民間人が50数万人以上連れ去られた。
当時の日本はソ連と日ソ中立条約(1941年春~1946年春)を締結していたため攻めてこないと安心し、1941年夏にベトナム南部を占領しました。
最初は良かったけどすぐに劣勢になり、「無条件降伏しないで戦争を終わらせたい」と、ソ連に戦争終結へ仲介依頼をします。日本人の中にはスターリンは喧嘩の仲裁をするような人間ではないと指摘する人もいましたが、陸軍はソ連に希望を託していました。なんで信用してしまったのか。陸軍は勝手に自分達の都合のいいように考えるクセがあったみたいです。
ソ連は仲介する気持ちはさらさら無くて、アメリカに日本の動きを伝えたりします。アメリカは「早くソ連も参戦して」と誘い、ドイツと戦ったばかりでまだ準備が整っていないソ連は「あと少しで参戦するから」と言いながら、やる気は満々です。この頃はまだアメリカとソ連の関係が冷える前でした。英米とソ連が通じていたことを日本は知らなかったようです。日本軍では情報畑の参謀の意見は軽んじられていたそうです。情報が軽く扱われていたというのは初めて知り、信じられない思いです。
1945年夏、ソ連は中立条約を一方的に破り、広島に原爆が落された翌々日の8月8日に宣戦布告をします。
満州では将校と軍人の家族が真っ先に逃げ、その後から民間人が逃げることになります。でも逃げる列車は無く、中国人からも恨まれていたため、多くの民間人が苦難を受けることになります。ソ連が攻めてきた時、街や村に残されていたのは、老人と子どもと女性ばかりでした。開拓団の中には集団自決するところもあったそうです。または自分達の身を守るため、若い女性を差し出したところもありました。奉天では、ソ連兵の相手をする女性たちのことを「婦人特攻隊」と呼んでいたそうです。不愉快な気分がします。その責任は満州の民間人を見捨てた関東軍にもあると思います。
ソ連兵は基本的に、敵の物は何でも奪ってよし、お金でも時計でも食べ物も奪ってよし、女性を襲ってもよしとされていたそうです。この蛮行の理由も明かされています。
ソ連は表向きは隠されているが実は男尊女卑の国。
嗜好品や日用品が不足している。
そもそも人権を尊重するという考え方が無いため。
戦場でたまった不満やストレスのはけ口として、黙認していたようです。
ようやく停戦になったのは8月21日。
ソ連はたった半月の戦争で、満州を襲い、南サハリンと千島列島の小さな島々を奪いました。そして、軍人や軍属の朝鮮人、樺太の先住人、日本人女性までシベリアあたりに送り、鉄道工事や建築などの仕事に従事させました。ちなみにノルマというのはロシア語だそうです。いまだ抑留者の正確な人数も分からず、日本の厚生労働省では57万人以上(多くの研究ではそれ以上)とされています。なぜ抑留が決まったのかはいくつか仮説はあるものの、いずれも決め手となる史料が無いため分かりません。
満州国の滅亡後皇帝だった溥儀の行方、ソ連と中国の関係、中国共産党の進出、朝鮮半島の分断についても書かれています。政治指導者以外の命はどこの国の人であっても、とても軽く扱われました。
最後の方のページに驚いたことが書かれていました。英米は、1941年大西洋憲章で「戦争での領土拡大は求めない」等の声明を出し、ソ連も支持を表明します。大西洋憲章の内容は素晴らしいものですが、スターリンは北方領土を返しませんでした。満州から命からがら逃げてきた人は今も現存し、いまだ日本人のロシアのイメージは悪いままです。
注記と参考文献を記したページがびっしり細かい字で20ページ。これらを集めて読んでこの本を書いたことを想像すると、そのエネルギーに圧倒されます。
巻末史料には「ヤルタ秘密協定草案」「ヤルタ秘密協定」があり、関連年表もあります。読みごたえのある1冊です。
著者 麻田雅文
発行 中央公論新社
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#日ソ戦争 #満州 #シベリア抑留 #ロシア#麻田雅文