本「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」日本の労働史と読書史と新自由主義。

フルタイムで働いているとき、なかなか本を読む気になれませんでした。
今は扶養の範囲内で働いているので、自由になる時間が増えて、趣味を充実させようと頑張っています。「ん?」私はまた、頑張っているのか?

それはさておき、子どもの時から本を読むのが好きでしたが、いつの間にスマホばかり見るようになっていきました。

著者の三宅香帆さんは社会人1年目にして、本を読んでいないことにショックを受け、3年半後に会社を辞めたそうです。通勤時にはついついスマホを見てしまう。夜もいつまでもスマホの動画を見てしまう。
この経験をネットに綴ったところ大きな反響があったそうです。「私も働いていると本が読めなくなった」「好きなバンドを追いかけられなくなった」「疲れて資格の勉強が出来ない」等。

「そもそも本が読めない働き方が普通とされている社会って、おかしくない!?」と疑問を呈しています。

「本を読むこと」=「趣味の時間」とすると、「労働以外の時間」となります。
三宅さんは、「現代の労働は、労働以外の時間を犠牲にすることで成立している。」と書いています。

そして、「どういう働き方をすればいいのか、一緒に考えましょう。」と呼びかけています。

たくさんのページを使い、明治時代から現代まで、時代ごとに本との関わりを説明してくれます。
ここから下↓、省いてもいいような気がして迷ったんですが、長文読みたくない人は飛ばしてください。

明治時代は、労働を煽る自己啓発書が誕生した時代といえます。
「労働」という概念が西洋から輸入されます。「学問のすすめ」や「西国立志編」というような自己啓発本がベストセラーになりましたが、読書はまだエリートの教養でした。
大正時代は読書人口が大幅に増え、昭和初期に「全集」ブームがきます。例えば「現代日本文学全集」とか。それらは洋室のインテリアとして重宝されます。
戦後から少し経ち高度経済成長期になると、長時間労働のサラリーマンが余暇に楽しめるサラリーマン小説が流行し、読書文化を大衆に広めることになります。
1970年代に入るとテレビと連動して売れる娯楽になります。

1980年代、バブル経済に日本が沸き、出版社もたくさんの本、雑誌を発売します。
女性作家が続々デビューして女性の文学が生まれ、男性のものだった「教養」が女性にも開かれていった時代になります。
世の中はコミュ力を求められる時代が到来します。

1990年代は「さくらももこ」と「心理テスト」の時代です。さくらももこさんの漫画、アニメ、主題歌、エッセーが大ヒットします。
また、心理チャートで「本当の自分とは何か?」「生きる意味とは何か?」と内面に答えを探しに行くようになります。
でも、90年代半ばで「内面」から「行動」へと変化します。行動重視の自己啓発本がヒットし、「小さいことにくよくよするな!」的な本が売れるようになります。

2000年代は労働で「自己実現」を果たす時代になります。
新自由主義社会化の影響を受けた若者たちは、労働そのものが「自分さがし」になっていきました。
週休2日制が普及したりパートタイム労働者が増えたせいで、気がつかないけど、どの時代より平日フルタイムの労働時間が長いそうです。

ここでようやく、「本は読めなくても、インターネットはできるのはなぜか?」という問いになります。

2000年代は、IT革命と呼ばれる、情報化にともなう経済と金融の自由化が急速に進みました。デジタル化・モバイル化も一気に進み、インターネットがキラキラと輝くようになります。
やがて情報強者が生まれ、自らを誇示し、旧来の権威を情報弱者として見下すことになります。情報強者はインターネットで簡単に情報を摂取し、自分の社会的階級を無効化することも出来ます。
「読書」と「情報」の違いは「偶然性」、この本では「ノイズ」と書いています。
読書には偶然性があり、たまたま見つけた何かがありますが、情報には「ノイズ」が無く、読者が知りたい「情報」のみが現れます。スピード性では本に勝ち目はありません。

2010年代になります。
この頃発売されたビジネス書はどれも「行動力」を促しています。でも、2015年に「電通過労自殺事件」が起こり、「働き方改革」という言葉が叫ばれるようになります。
そして、こう言われるようになります。
「自分の意志を持て」
「グローバル化社会のなかでうまく市場の波を乗りこなせ」
「ブラック企業に搾取されるな」
「投資をしろ」
「自分の老後資金は自分で稼げ」
「集団に頼るな」

2020年、スマホの普及率は86.8%、SNS利用率は80.3%に達しています。
でも、読書量が減ったと感じている人のうち、半数が「仕事や家庭が忙しい」ことを原因としているそうです。

つまり、「働いていると本が読めない」ということになります。ようやくタイトルに戻りました。

「21世紀の新自由主義は、自己責任と自己決定を重視する」と、書いてあります。
昔と比べて何かと自己責任と言われるようになったと思っていたら、それは新自由主義だったからなのですね。(そもそも新自由主義って何ですか?ネットで調べたので、この下の方に書きました)
そのせいで会社が強制しなくても個人が頑張ってしまう社会構造が生まれているそうです。

世間は仕事と家庭を両立して、趣味を充実しようとか、地域活動に参加しようとか、副業しようとか、老後資金は2000万円必要とか、投資しようとか言うけど、考える事が多くて疲れちゃいますよね。

本のタイトルの答えは「みんな頑張って働いて疲れているから」でしょう。

最終章はこう訴えかけられます。

「全身全霊」を褒めるのはやめませんか、と。

それは、自分を犠牲にして何かに尽くすことを褒めるのはやめませんかということだと思います。

最後の最後は、こう締めています。

働きながら本を読める社会をつくるために。半身で働こう。それが可能な社会にしよう。

あとがきに三宅さんの「働きながら本を読むコツ」が書かれていますので、ぜひ読んでみてください。

ちなみに「新自由主義」という言葉をネットで検索すると、「政府の経済への介入を抑え、自由競争によって経済の効率化や発展を実現すべきという考え」と、書いてありました。

やっぱりインターネットは便利ですなぁ。答えがすぐ分かります。

新自由主義のメリットは、経済が活性化されるということのようです。政府による規制を撤廃し自由競争を促すことで、さまざまな企業が参入しやすくなり、消費者に安くていいものが提供できるようになるそうです。

デメリットは実力主義のため、失業者が増えて貧富の差が拡大しやすいこと。なるほど、日本はずっと前から新自由主義だったのですね。公的だったものがいくつも民営化されました。

では、一生懸命頑張っても実力のない人は、報われないのでしょうか。たいした仕事は出来なかったけど、私なりに頑張りました。ずっと頑張ってきたつもりです。まぁ、これが新自由主義、実力主義ってことですね。

著者:三宅香帆  発行:株式会社集英社

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#なぜ働いていると本が読めなくなるのか #三宅香帆 #新自由主義