本「赤と青のガウン」彬子女王                      「テムズとともに」徳仁親王(当時)       

オックスフォード大学留学記 読み比べ

彬子さまの英国留学記が面白いと評判です。
この本が最初に出版されたのが2015年。昨年からTwitter(現X)でバズっていたらしく、2024年4月に文庫版が出版されました。

博士号取得までの道のりとともに、大学生活の様子や、イギリス王室との交流や友人たちとの交流が、ユーモアまじえ書かれています。
彬子さまのお父上、2012年にお亡くなりになった三笠宮家の寛仁さまが娘をオックスフォードに留学させることが夢だったらしく(ご自身も留学&留学記出版)見事に夢をかなえています。
ただ、5年間も勉強を続けること、博士号を取ることまでは予想していなかったようで、当初は1年間の予定だったそうです。

天皇陛下も1992年に徳仁親王時代にオックスフォード大学に留学し「テムズとともに」という英国留学記を出版されています。
昔読んだのですが、同じ大学の同じコレッジの留学記ということで、私の本棚から探し出し読み返してみました。

德仁天皇(当時徳仁親王)は、1983年から1985年まで2年間オックスフォード大学に留学されています。
すぐには入学せずに大使公邸で2週間、英国の基礎知識を勉強しながらイギリス王室との交流し、その後ホール大佐(誰?)の家で3ヵ月のホームステイ。1日4時間の個人授業を受けられています。

地元の村祭りに参加し、自分が誰か分からない中で自由を満喫したことを、貴重で有意義だったと書いおり、相当楽しかった様子です。

失敗談やユーモアを交えて彬子女王よりは少し堅めな文章で、勉強の事や日常生活など書いてあります。
ハイレベルの文武両道なので、感心するのみです。

彬子さまも英国に渡りすぐには大学に入らず、1ヶ月間は現地の英語学校で英語を学んでから、大学に入学しました。

1983年10月になり德仁天皇はいよいよオックスフォード大学マートン・コレッジへ入学しました。『不安感が強く名前を書く手がふるえた』と正直に書かれています。

彬子さまも2001年10月に同じくオックスフォード大学マートン・コレッジに入学します。
入学しても会話についていけず、どんどん孤立していき、新入学生歓迎会の夜に部屋に戻り『ひとり涙を流した』と告白しています。
でも、なんやかんやで1年過ごし、その間エリザベス女王とアフタヌーン・ティーをしたり、友人たちとお出かけしたりしています。
お二人ともすぐに新しい友人をつくられ、学生生活を楽しむ様子が描かれています。

彬子女王は学習院大学大学院を卒業するため一旦帰国し、2年間日本で勉強して大学院を卒業後、再びご自分の研究のためオックスフォード大学へ留学します。

先に入学された徳仁天皇は『自分の部屋をまったく自分の意志のまま使えるのはいいものである』と、どこに何を置くかで悩み、そのことに喜びを感じています。
友人の部屋に遊びに行くとじゅうたんにそのまま座り、コーヒーの入ったマグを平気で床に置くことを驚いています。
椅子とテーブルの生活しかしてこなかった様子です。床に座ってはいけません、とか言われていたのでしょうか。すぐに地べたに座る今の若者をご存じないでしょう。

お二人が大変だったと書かれているのが、チュートリアル制度です。教授と1対1で行う授業のことです。
週1回1時間、自分が書いたエッセイ(小論文)を提出し、あれこれディスカッションする授業のようです。
そして次の授業の宿題が出され、参考図書と必読書が提示されるので、かなりの量を読まなくてはならないそうです。

徳仁天皇は真面目そうだから全部の本を読んだに違いありません。
彬子さまは全部読むのは不可能だから、選んで読むようにしたと書いています。

彬子さまが寛仁さまと德仁天皇の学生時代を知っている方からティー・パーティに招かれた時にエピソードがあります。
『ヒロ(天皇)はよく勉強する学生だったけど、あなたのお父さんは勉強していなかったわね。でも、トモは心から楽しんだと思うわ』
寛仁さまは勉強しないで遊びまくっていた様子です。行く前に『図書館なんてあったかな』と言って、彬子さまが驚いたというエピソードもあります。

勉強だけでなく、お二人はご友人と様々な遊びにでかけられています。
徳仁天皇は、お酒が好きなのでパブに行ったり、1度だけディスコに行って女学生と踊ったと書いています。

街に出て偶然出会った若い日本人女性に目の前で「うっそー!」と叫ばれたそうです。80年代の若い女性の「うっそー!」は挨拶みたいなものです。
嘘か本当かでななく、なにかあれば「うっそー!」と言う、今の「かわいい!」と同じ意味と捉えていいと思います。
『「うっそー!」の本義を知らず、どう反応していいか迷った』と書いています。本義と書いてしまうあたり、世俗から遠いのだなーと感じます。

彬子さまも度々各所出かけています。彬子女王にはイギリスに着いてからSPはついておらずどこに行くのも自分の意志で行動出来たようです。
物ごころついた時から必ず側衛がついていたため、当初は一人がさみしくてたまらなかったそうです。
映画に行ったり美術館に行ったりした時感想を共有したり、何か意見を求めたり愚痴を言ったりする、家族のような関係になるそうです。

週刊誌情報なので本当かどうか分かりませんが、とある宮家がご難場と呼ばれる状況に、どこの誰につくかによってお付きの人の心労も大きく変わりそうです。

一方の德仁天皇はイギリス人のSPが2名つき、たまに分からない英語を聞いたりしていたそうです。
読みにくい史料の解読を手伝ってもらったり、アイロンのかけ方も教えてもらったと書いています。
洗濯はコインランドリーを使用するのですが、これも初めての時洗剤の量が分からず適当に入れたところ、その場を泡だらけにしてしまった失敗談も披露しています。

食事については、同じ大学の同じカレッジですので似たようなことが書いてあります。
夕食は予約制であること。德仁天皇の時は管理人棟で名前にチェックをすると書いてありましたが、彬子女王の時代はカードキーで予約するとの事。
朝食はいつも似たメニューらしく、德仁天皇は食堂で食べたけど、彬子さまは早々に飽きてしまい自分の部屋で好きなものを食べたそう。
ゲスト・テーブルやハイ・テーブルの記述も共通していて、伝統を感じさせます。

英国料理はまずいと言われていますが、実際はそうまずくはないそうです。
これは宗教が関係していて、プロテスタントの一派であるピューリタン(清教徒)が贅沢を嫌ったのが理由だそうです。
美味しい英国料理が食べたければ、おうちの料理が一番美味しいとの事です。
でもインド料理とタイ料理は比較的安定して美味しいと書いてありました。移民が関係しているのでしょう。

どんな勉強をしたかについて、たくさん書いてあります。

徳仁天皇は「テムズ川の交通史」を研究テーマにしています。
『そもそも私は、幼少の頃から交通の媒体になる道について大変興味があった。外に出たくてもままならない私の立場では(中略)芭蕉の「奥の細道」により旅、交通、に対する興味はより深まった』と書いています。
自由に外出出来なかった様子が、なんともお気の毒です。そのため学習院大学の卒業論文では「室町時代の海上交通」をテーマに選ばれています。
本当は陸上交通にしたかったけど、史料の制約が多いため(制約とは?よく分からないけど)海上交通にしたそうです。
それで今回も石炭やモルトを運んだテムズ川の水上交通史を研究テーマに選んだようです。

この留学記には書いていませんが、1986年にネパールを訪問され、共同の水くみ場に列をつくる女性や子どもを見て、研究テーマが「水上交通」から「世界の水」に変わられたそうです。
その後は国際的な場で講演されたり、国連の委員会の名誉総裁の職に就かれたり活躍を続け、2019年に『水運史から世界の水へ』(私は未読)という本を出版しています。
生き物植物全てに「水」は必要なもの。大変重くて難しいテーマですが、ご活躍をお祈り申し上げます。

彬子さまは最初の1年は「古代ケルト史」を研究し、次の留学では「19世紀末から20世紀にかけて、西洋人が日本美術をどのようにみていたかを、大英博物館所蔵の日本美術コレクション中心に明らかにする」(長い!)が研究テーマになります。
大英博物館は日本より多くの史料を持っていますからね。
なぜ研究テーマを日本美術に変えたのかも書いています。
「日本人として、もっと日本のことを勉強し、正しい知識を海外の人に伝えていきたい」という気持ちが芽生えたそうです。

その後、大英博物館の日本セクションでボランティアとして働きながら、自分の研究も進めていきます。
ストレス性胃炎になりながら無事論文が完成し、二度の口頭試問をクリアし、博士論文の外部試験も合格しました。
ここ、簡単に1行で書きましたが、本の中では、いかに大変な思いをして書いたか、たくさんページをさき書かれています。

德仁天皇も彬子さまも、いかに大変だったか伝わってきます。努力が苦手な私から見ると本当に尊敬しかありません。

そして、女性皇族として初の博士号取得。
多くの人に感謝を述べています。
『ほんとうにいろいろなことがあった五年間だった。(中略)孤軍奮闘しているつもりになって、はるか遠方からの援護射撃に支えられていたことに気づいていなかった。「なんでわかってくれないの?」と泣いていた自分がいまとなっては恥ずかしい。』
後から気づくことってありますよね。正直さになんだか感動します。

彬子さまは、現在、今年元旦に被災した能登の「漆芸」を支援するためクラウドファンディングのに取り組まれています。
ご自分が発起人代表となって、能登半島の職人を支援するそうです。
ぜひとも応援したいと思います。

德仁天皇も最後のほうで、『おそらく私の人生にとって最も楽しい一時期』と、この留学がいかに貴重な経験だったか書かれています。
ヒースロー空港を飛び立つ時、『内心熱いものがこみ上げて来る衝動も隠すことはできなかった。私は、ただ、じっと窓の外を見つめていた。』で文章は終わります。

その後、雅子さまと結婚されて、愛子さまがお生まれになって、最も楽しかったランキングが変わったかもしれませんが、それでも青春時代の思い出はいいものです。

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