映画「トノバン」天才音楽家加藤和彦とその時代&わたしの思い出

映画

加藤和彦さんのドキュメンタリー映画を観ました。トノバンとは、加藤和彦さんの愛称です。
常に時代の一歩先にいた音楽家の輝かしい軌跡を、当時の映像と数々の証言とともに、加藤さんの人生を振りかえります。

誰が何をしゃべったか、いつもの忘れっぽさで、すっかり彼方に消えてしまいました。インタビューだけで1本の映画ができあがることに、交友関係の広さがうかがえます。

加藤さんは作曲、編曲、音楽プロデュース、バンドのリーダーとして活躍し、たくさんの名曲を残し多くのミュージシャンに影響を与えました。
1965年頃に京都でフォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」を結成し、1967年に自費でアルバムを制作。その中の「帰って来たヨッパライ」が大ヒットしプロデビュー。

この帰って来たヨッパライは子どもの頃、何度かテレビで聞いたことがあります。ヒットのきっかけはラジオでのリクエストだそうです。
この歌を聞いた関西の音楽プロデューサーが「オールナイトニッポン」でオンエアし、若いリスナーからリクエストが殺到し社会現象のようなヒットになりました。

1968年2枚目のシングル予定だった「イムジン河」が発売中止となります。イムジン河は朝鮮半島の歌で朝鮮総連の抗議により、政治的判断で発売中止になりました。
私がこの歌を初めて聞いたのは2005年の映画「パッチギ!」でした。複数人が何度か映画の中で歌い、なんて美しい歌だろうと思いました。また、朝鮮学校の生徒役で出演していた沢尻エリカさんがとっても可愛いのです。

代わりに発売されたのが、「悲しくてやりきれない」です。この歌も歌詞も曲も良くて、もちろん後から知った曲ですが、サトウハチローさんの歌詞が心にしみます。
そして、同年グループは解散します。

当時の関係者が「帰って来たヨッパライ」が大ヒットしたあと、次もコミックソング的な音楽を会社から求められたのですが、加藤和彦さんが「ビートルズ」だってシングルは全く違う音楽をやっていると突っぱねたと語っていました。
でも、解散記念で作った曲が大ヒットしたというのは、心中どうだったんでしょうか。気になります。

1971年に北山修さんとの連名によるシングル「あの素晴らしい愛をもう一度」を発表します。この歌もたくさんの方がカバーして歌い継がれています。

同年に配偶者のミカさんをボーカルにした「サディステック・ミカ・バンド」を結成し世界中の音楽を取り入れた実験的音楽を作ります。メンバーもすごいです。


ギター・ボーカル:加藤和彦  

ボーカル:加藤ミカ  

ドラムス:つのだ☆ひろ、のちに高橋幸宏 

リードギター:高中正義   

ベース:小原礼、のちに後藤次利

すごい豪華メンバーです。小田和正さん泉谷しげるさんもサポートメンバーで出ていました。

1973年にアルバムはイギリスでも発売され、評判を呼びます。
それを聞いたイギリス人有名音楽プロデューサー(ビートルズやピンクフロイドやロキシー・ミュージックを手がけたことのある)クリス・トーマスさんから、プロディースの申し出を受け、彼を迎えて2ndアルバム「黒船」を制作発売します。

クリス・トーマスさんが初来日した時のどなたかの証言が興味深いです。
日本のスタジオにきたとき、左右のスピーカーの音が違うことに気づきます。
すぐさま「会社中のスピーカーを集めろ!」と上層部からの命令で約50台のスピーカーを集められます。そして、どれを使うのか、置くのか吊り下げるのか2日間かけて大検討。
当時若手プロデューサーやらディレクターやらが会社の偉い人に怒られたそうです。でも、若い彼らが怒られるのは筋違いです。日本にノウハウが無かったのですから。
加藤和彦さん含め日本人音楽関係者はクリス・トーマスさんから学ぶことは多かったと思います。
クリスがなぜ日本に来たかも語っています。イギリスでは大物とやり過ぎて、ヒットの作り方が分かってしまう。「サディスティック・ミカ・バンド」を聞いたら自分ももっと冒険ができるかもしれない。そんな気持ちで来日したそうです。

1975年にイギリスで公演します。当時の映像を見るとめちゃくちゃカッコいいです。歌もカッコいいですが、ボーカルのミカさんの圧倒的なカリスマ性がいいです。身体にフィットしたラメのドレスにノーブラで、ふたつのポチっとしたのがあらわです。
余談ですが、当時は男女平等の権利を求めるウーマンリブ運動が盛り上がり、ブラジャーは「“女性性”をアピールするもの」「女性を拘束する象徴」とされ、「ノーブラ運動」が巻き起こっていました。
今の若い人には信じられないと思いますが、先進的な女性はノーブラでした。小川知子さんもノーブラで銀座を闊歩していたと語っていました。

1975年イギリスからミカが帰ってこなくなります。実はクリスと恋に落ちたらしく、同年2人は離婚し、バンドは解散します。

1976年からソロ活動を始めます。安井かずみさんと再婚し、コンビで多くの作品を発表します。
安井さんは沢田研二さんにもたくさんの詞を提供しています。後年病気で安井さんがお亡くなりにたった後、沢田さんは安井さんの歌詞の曲だけで構成した追悼コンサートを1994年に開催しています。
最後の方で沢田さんから紹介を受け、加藤さんが立ち上げって手を振ってくれました。配偶者が亡くなるなんてお辛いだろうと、背が高くて上品そうな紳士に思いを寄せました。

どういうきっかけで知ったのか忘れてしまったのですが、私は「ヨーロッパ三部作」と呼ばれるアルバムを聴いていました。
1979年「パパ・ヘミングウェイ」 1980年「うたかたのオペラ」 1981年「ベル・エキセントリック」
高校生の私は異国にたたずむ年上の男性というイメージを妄想していました。

1989年にモデルの桐島かれんさんをボーカルに迎え、サディスティック・ミカ・バンドを再結成します。もちろん、どの曲も最高にカッコよく何度も何度も聴きました。
再々結成した時はボーカルに木村カエラさんを迎えています。木村カエラさんのイギリス在住のおじい様がとても喜んでいたとテレビで語っていました。

2009年に新聞でお亡くなりになったことを知ります。まだ62才という若さで、自殺なんて加藤和彦さんに一番似合わない死に方をされ、本当に悲しかったです。
死の直線に高橋幸宏さんと電話でお話しされていたことを、映画の中で高橋さんご本人が証言されています。今は天国でお会いされているでしょう。

映画で語った人<順不同・敬称略>
北山 修
松山 猛
高梨美津子
朝妻一郎
高中正義
坂崎幸之助
新田和長
つのだ☆ひろ
林 立夫
泉谷しげる
重実 博
小原 礼
トシ矢嶋
クリス・トーマスChris Thomas
今井 裕
コシノジュンコ
三國清三
門上武司
高野 寛
高田 漣
坂本美雨
石川紅奈(soraya)
坂本龍一
高橋幸宏 他

企画・構成・監督・プロデュース:相原裕美

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#映画 #トノバン #加藤和彦 #サディスティック・ミカ・バンド